一握の真砂

ジャズりんご

近況の雑記

部屋に送られてきたモルモットのあかちゃんに柄と色をつける仕事をしている。モルモットといえばモルカーというのをツイッターのいろんなところで見かけるようになったがかわいらしいらしいくらいの情報しかなく本編にはまだアクセスしていない。

ハムスターのあかちゃんには毛や特有の柄がないがモルモットはあかちゃんのときから色や柄があるという。

せめてひよこの初期個体の毛を黄色に染めるくらいの単純さだったらもっと楽だな~と思うが、現状送られてくるのはモルモットのあかちゃんなので仕方ない。ただ柄と色をつける仕事といっても、その柄と色に独自性を求められるところがなかなかきつい。だが部屋から出ず人と顔を合わせなくても仕事ができることはかなりうれしい。少ししたらまた外に出て孔雀のひなやボノボの群れとドブさらいする仕事をやろうかと思っていたが、在宅仕事に慣れると外出のための服装を整えたりすることがかなり億劫になってきたのでしばらくはやらないだろうと思う。

そういうことなのでモルモットのあかちゃんに柄をつけたり、そのあいまに映画やドラマシリーズを観たり、あとはめちゃくちゃ寝たりしている。気温が低くて寒い冬のせいだと思うが、体温が上がらないと頭も回らないし、作業を前にしてもあまり手が進まないので、布団に逆戻りして部屋があたたかくなってからまた這い出て来ている。

外に出る仕事なら時間に合わせて強制的に仕事モードを発動させることになるので実入りはいいが、その分心身への負担が高い。モルの色付け作業は納期までに決まった個体数を仕上げさえすればやり方は問われないので、自分でポモドーロタイマーを使って一日に決めた時間だけモルモットに触っている。家は最も自分が落ち着いて邪魔されずに物事をできる場所なので、逆に集中しすぎて疲れることもあるが体調に合わせて仕事ができるのでいいいなと思っている。

それとHTMLとCSSを勉強しなおしている。HTMLは書いていたのであまり難しいことはないが、CSSは読んでいただけだったので少しつまづきながらでやっている。一通りコースが終わったらPHP、そのあとはJavaScriptをやってみたい。あとはもう少し映画の感想もブログに書けると良い。

夏は夏で汗がにじむので不快だが、寒すぎるとそもそも何もできないので暑いほうがまだマシなのかもしれない。一年中、関東の五月くらいの気温であってほしい。

今日はこれから家族に頼まれた薬草摘みの仕事をする。暗くなると作業しづらいので早めにとりかからなければならない。冬は寒いし暗いし、あまり好かない。あとなんか最近の働き方のせいでなんでもかんでも頼まれごとについては納期(と報酬)を確認するようになった。

クロックムッシュを作って食べた

クロックムッシュというのを初めて作って食べた。イメージ的にはしょっぱい系のフレンチトーストだったがパンを浸す液には砂糖を入れた。

今回作ったのは

パンを卵液に浸して焼く→中にチーズと焼いたベーコンを挟む→表面にピザチーズを載せて焼く

で完成する簡易版だったのだが、今度つくるときはホワイトソースをまぶすタイプにしようと思う(ホワイトソースが無かったが作るのも面倒くさかった)。

ホワイトソースをかけるバージョンもレシピはあまり変わらず、チーズを半量に減らしてその分がソースになるくらいのもの。

表面に目玉焼きを載せたりするとクロックマダムになるらしいが、食べた感じズルズル目玉焼きが落ちて大変そうなので別添えでもよくないか? と思う。

 

タイニー・プリティ・シングス あらすじネタバレ、感想と好き嫌い

Tiny Pretty Things。2020年12月14日から配信されているネットフリックスオリジナルドラマ。原作はティーン向けの小説だそうで。

現時点ではシーズン1の配信のみだが、最終話の様子からは続きもきっと出るはず。

原作・制作はマイケル・マクレナン。

 

あらすじ:

シカゴの名門バレエ校でスターの転落事故が起きる。ネヴェーアはその火消しのために一度落ちたテストで追加合格という形に。はじめは授業にも周囲にも馴染めないでいるネヴェーアだが、段々と言葉を交わすうちにそれぞれの思惑が交錯しながらも互いにの仲を深めていく。

パトロンの支援が打ち切られたこと、オーレンと寮の規則を破ったことから二人まとめて退学になる予定(だが校長の地位も危ういので今後どうなるかは不明。これからもっと物語に絡んでくるのが学校のスターだったキャシー、学校に関わる大人たちのそれぞれの事情であることなどから舞台がアーチャー校から変わることはないのではないかと予想)。

キャシーの転落事故に犯人がいるのではないか、と捜査する警察の動きと、公演に向けての生徒たちの役の取り合い、「芸術にはお金がかかる」と学校経営をやっていく大人の事情などがパラレルに進む。

 

 

感想:

・まず全員自分のことしか考えてなさすぎ

ベット(=エリザベス)はわかりやすくそう。利己的すぎてバレエ学校以外だとマジでやっていけなさそうな気質になっているが、母親の期待に応えたい(そうしないと見放される)という危機感からくる彼女の行動は痛々しいものがある。

ジューンは良くも悪くも素直。だが母親に立ち向かい最終的には(ベットの逮捕のためだが)ソロを踊ることになり、タフさを発揮。

ネヴェーアも正義のために立ち向かう! みたいな態度でいながら自分がバレエ界から追放されそうな脅しを校長からかけられるとタレコミ先のジャーナリストに記事の発表をやめてくれと言い出したり、まあでも他人の受けた被害がベースの正義感なんて所詮そんなもんか……とは思うが覚悟が決まってないなあという印象。

 

・女生徒間の感情の対立と調和がよくわからん

「スタジオでは容赦しないけど、それ以外の場所では仲間だから」というようなことをベットが言うが、役を奪い取るためにジューンを屋上に締め出すよう細工したお前がそれ言うか? などと突っ込みどころが多い。

バレエ界ではそういう役の奪い合いにまつわる感情とそれ以外の場所(バレエ以外での私生活面)の交錯は当たり前なのか? 全然わからん。

 

・生徒間の恋愛感情の推移が滅茶苦茶すぎてよくわからん

キャシーが寝てる間にナビルとネヴェーアがキスし出したり、ベットと別れたあとのオーレンがネヴェーアにキスしたり、ジューンが酔ってナビルにキスしたり、これ最終的にどう収めたいの? という行ったり来たりが多い。

 

・オーレンとネヴェーアの関係発展の描写、雑すぎんか? なんでそうなった

ケイレブとナビル(ケイレブははじめ同室のナビルの一挙手一投足が気に入らずしょっちゅう突っかかる)の関係の発展(仲間として認め合い協力体制になる)のほうがうまく描かれてて、えっ仮にもネヴェーアって主人公枠じゃないんですか……という置いてけぼりな気持ち

 

・情緒不安定キャラ

メンズ部門ではシェーン、レディース部門ではベットが十代らしい情緒不安定さをよく出しているなと思いました。

 

・ラモン・コスタ、性病のハブになってそう

コスタ、大人数と関係持ちすぎ。ディリア、マダムあたりはまあわかるがキャシー(未成年)とかブルックス先生とか節操なさすぎでは? ジューンの母親とも関係を示唆されるシーンがあって本当に見境ない。

だからこその「性病のハブになってそう」だが、これは感染症対策に敏感になった2020年だからこそ出てきた感想かもしれない。

個人的にいちばん嫌いなキャラだから10話の流れでこのまま退場してほしい。

 

・ネットフリックスオリジナルは良質な作品が多いな! と思っていたがこれに関してはそんなに面白くなかったかな

ダンスシーンは洗練されていて素晴らしいと思う。経験はないのでどれくらい上手いのかわからないが、素人目には十分すぎるほどダンスが上手い。

 

・オーレンを摂食障害傾向のキャラとして配置したのが新鮮だった

摂食障害」というと女性がなりがち、と思われるだろうが、ダンサーとして生きていく上ではその強迫的な感覚に男女はあまり関係ないのだろうか。

 

・ストーリーやフォーカスするものについてもっとターゲットを絞ってほしかった

キャシーの件と、ネヴェーアの生活、の二点くらいでちょうどいいと思うんだけど、詰め込みすぎであんまり深まってない部分が多い印象。

 

・無駄に性交シーンが多い

何? 監督の趣味?

そんなことに時間割いてないでもっとそれぞれの人間関係を深堀りしてほしい。

映画「#生きている」感想

2020年、ネットフリックスオリジナルのパンデミック韓国映画

あらすじ : ゲームオタクの主人公。家族が外出中、家に一人でいるときにパンデミックが始まる。マンションの向かいの階に住む生存者と協力して生き残る。

 

ポン・ジュノ監督「パラサイト」で有名になったチャパグリ、出てきたね(確かパラサイトでは「ジャージャーラーメン」と訳されていたと思う)。韓国のおいしいB級グルメらしいです。以下はパラサイトの公式。

映画『パラサイト 半地下の家族』オフィシャルサイト

 

【カルディ】『パラサイト 半地下の家族』に登場、SNSで話題のやみつきグルメ「チャパグリ」を作って食べてみた! | イエモネ

こちらはカルディ(のオンラインストア)でノグリとチャパゲティが買えるという紹介と、実際にチャパグリを作ってみた、という記事。韓国グルメってあんまりなじみないけどカルディで買えるんか

 

ヌテラをおいしいと思うのは世界共通かな
うまいよなヌテラ
オーシャンズ8でもローズがヌテラをヤケ食いしてるシーンがあるのを思い出した、みんな大好きヌテラ
オーシャンズ8未見の方は是非観てください(推し映画)

オーシャンズは11、12、13とあるが8はそれらと殆ど関係のない独立した話なので前作等を観ていなくても楽しめる。食べたことない人はヌテラも食べてみてください。

 

・デバイスが全てワイヤレスなところがIT先進国だな〜と思った、韓国
ドローンも使い慣れた感じで飛ばすし、オチではSNSめっちゃ活用してるし

 

・新感染でもゾンビ(感染者)がダッシュしてたけど、韓国製のゾンビ(感染者)は走りがちな気がする
でも私が観たパンデミック系ホラーは新しめのものが多いのでどうなんでしょうね

映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』公式サイト

 

バイオハザードもゲームの1では走らない、ドア開けられない、階段登れないくらいの縛りがあった気がするけど

あと韓国の文化というか風潮として「赤の他人に親切にする理由はない」みたいなものって強いのかな 終盤の生存者おじさんの部屋に入った後、ユビンは警戒心強めで最初は水にも手をつけなかったし
この(他人にわざわざ親切にすることはないという)感覚は「新感染」の主人公とも被る。

韓国でパンデミック、という点では新感染のほうが圧倒的に評価高いですね…… マ・ドンソクも出てるし……(ストーリー・設定・演出が練られている、俳優陣が実力ある)

「#生きている」はもうほんとに冒頭のあらすじに書いた通りの話なので、結果的に「新感染」を推す記事みたいになってしまった。新感染、いいよ。

映画「ミスミソウ」感想

2018年、監督:内藤瑛亮(ないとう えいすけ)

バイオレンスがいっぱい。
とにかく血がたくさん飛ぶ、特殊効果の人忙しかっただろうな

原作は未読

あらすじだけ読んで、あとネットフリックスはこれまでの視聴した・マイリスインの映画からマッチ度を示してくれるのだが、それが高かったので観てみた。原作は双葉社から出ている漫画。

 

画面づくりがとにかくよかった。薄紫に光るくらい白い積雪に飛び散る鮮血、素敵。作中で野咲(役者 : 山田杏奈)がずっと着てる赤いPコートも、妙子(役者 : 大谷凜香)の白いセットアップも、赤白の対比に美しかった。

あとカメラワークがいいところが何点かあって、ボウガンが宙を舞うところ(後の伏線に)、倒れているキャラクターからの視点で人が逆さまに映っているところ、カメラのレンズ越しのカット、など。

 

でもこの映画のいちばんの推すべき点はヤバ百合の存在だと思います。同性間の激つよな感情。最初はそれと自分でも自覚しないままエスカレートしていくことって、映画に限らず社会集団に属する生活をしているとあるよなあ。登場人物たちの血がこれでもかと飛び散る陰惨な現実の中で、妙子の回想だけがひたすら穏やかで、うつくしい。

相場(役者:清水尋也)がサイコ野郎だったのはラスボス感ありましたね。脚がなげえな~~と思いつつ検索したら身長186cmなんだそうで。これは体格に恵まれた俳優ですね。

 

今作と後味? を比較して反対の座標にあるのは「ライオット・クラブ」(2014)(監督:ロネ・シェルフィグ)かなあ、と。「ミスミソウ」は視聴者からみた加害者側がどんどんひどい目に遭って死んでいくわけですが、「ライオット・クラブ」は後味で言えば真逆。以下公式サイト。

www.at-e2550.sakura.ne.jp

ロネ・シェルフィグ監督は「17歳の肖像」(2009)でもオックスフォード大学を大きな要素として描いていて、大学に思い入れというかなにかしらのこだわりがあるのかな、と邪推する。「ライオット・クラブ」は特に良作なので、興味がある人は観てみてね。

 

それから「白い雪と鮮血」という画面づくりで親近感があるのは蜷川実花が監督をした「人間失格 太宰治と3人の女たち」かな。以下公式サイト。

ningenshikkaku-movie.com

小栗旬が出るということでけっこう宣伝はいいように見えたけどこれについては劇場で観て時間と金を無駄にしたなと思った作品。太宰治が題材でよくこれだけつまらん映画つくれるな……と思ったけど蜷川味(にながわあじ)の作品が好きな人にはこのテイストがいいんだと思う。私には向いてなかった。たぶんストーリーや構成はガン無視でも「画面が蜷川色であればいい」という人には評価高そう。

映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」感想

映画ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000)、ネットでは「後味が悪い」「鬱映画」と言われていたのでそれを期待して観ていたらめっちゃハッピーエンドだったのでがっかりしました、というのが第一の感想。

 

この映画を要約するなら主人公セルマの2時間20分にわたる信仰と殉教の物語と言える。

・息子ジーンの目が手術によって治ることだけがセルマの神さまであり、息子本体はその付属物っぽい。息子自身の心情を気にしている様子は作中で見られない。拘置所? の面会場で「ストレスが目に障る」からジーンは来させてはいけないということを言うが母親が拘置所に突っ込まれている時点ですでに相当のストレスがかかっているんでは……

・周囲の愛情は常に一方通行

工場の同僚で友人のキャシーから向けられる好意も、恋人候補のジェフからの好意も、セルマはそれに好意で応えることはない。

・ドキュメンタリー調でやたらワンカットが長く手ブレも多い。なんでこの手法?

・「ミュージカル」という心構えで見るとミュージカルシーンがめちゃくちゃ地味、とにかく地味、それが現実と地続きな感じがしていいんだろうけど、セルマがそう派手には空想の世界に飛べていないことがわかる

 

あとは疑問点がいくつかある。

・セルマは軽度知的障害?

以下、ビルと二人で話していたシーンの締めの字幕の書き起こし(英語版字幕は現在ネットフリックスに上がっていなかったので私の聞き取りによる)(肝心の用語が聞き取れていない)

 

ビル「沈黙で行こう」(***(聞き取り不能))

セルマ「ちんもく?」(man...?)

ビル「内緒だ」(We don't tell anybody.)

 

→息子の手術をするためにチェコからアメリカに来ている=息子の存在が確定してから渡米しているため、英語が堪能でなかった? という推測もできるが、セルマはビルの言った「沈黙」の単語を理解しなかった(単なる聞き落としでないことは、ビルが言い直しではなく言い換えを用いていることからもわかる)

 

・ビルを殺す必要性はどこに

セルマが軽度知的障害であると仮定するなら、選択肢を探す力が低いので……という見方もできそう パニックになっていてかつ相手が強情とはいえ拳銃何発も打った上に引き出しで頭つぶしたりする……? 「殺してくれ」と頼まれたから「はい殺しましょう」というのはあまりにも愚直に見える(ビルが「金は離さない」とあまりにも強硬な態度だったのはあるけど)

 

・なんで息子ジーンに手術のことは秘密?

これはビルと交わした「秘密」にとどまらず、最初から一貫してセルマは「父に仕送りをしている」ということで手術の当事者であるジーンにも彼の目の手術のことを言わないでいる。何故……

この点が映画では一番謎だった。「セルマは眼病の遺伝を知りながら息子を産んだことに責任を感じている」という描写はビルとの二人での会話から察されるが、それと手術代の貯金を内緒にすることのつながりが見出せない。なんで。

 

結局セルマが自己の宗教を開陳していく自己満足的なストーリーラインであまり面白くはなかった。オチもなあなあな感じにされて微妙だし…… 結局セルマが最後までほんとうに大事にしていたのは息子ではなく、「息子の目が手術でよくなること」である。自分で蒔いた種を回収するその贖罪についてしか彼女の世界には存在しないのであり、映画のラストでセルマは贖罪を果たし、殉教する。

独房でBGMもなく排気口に向かいながらMy Favorite Things を歌うシーンだけは好きだった。つまり、この映画からビョークの音楽を取ったら何も残らないということだ。

セルマは物理的に盲目だというだけでなく、思考も盲目的であるというのが「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のタイトルに回収されるのかな。

映画「カメラを止めるな!」感想

話題作をようやく観た。

ところで1日に映画は4~5本が目の限界っぽい。映画や一単位が90分のドラマ、ひとつにつき1時間半~2時間半はぶっ通しであけておきたいので、間に用事を挟みたくないし、それだけ通しで目と腰が死なないようにケアの時間も入れないといけない、というのが最近の気づきである。

 

以下マジのネタバレ注意

 

カメラを止めるな!」(2017)は上映開始当時、私の周りでも話題にはなっていたものの近くに上映館がなかったので観に行かなかった作品だった。このタイトルについて検索すると「ネタバレを見ないですぐ観に行ったほうがいい」という意見がすごくたくさんあって、物語(フィクション、作り話)というものをある程度周回している人ならその文言自体がまあまあのネタバレになっていると思う。事実ストーリーラインはだいたい「まあこれは確かにネタバレ読んでたら楽しめないな」という構成だったが、低予算だと役者やセットに頼れないぶん構成パワーで薙ぎ倒す、みたいな気概を感じてよかった。良い意味での低予算映画らしさ、あたたかみというか。

ただちょっと検索したら監督に盗作疑惑が持ち上がったとかなんとか、「原案」にラレ元の名前をクレジットすることになったとかなんとか、そういう情報もネット上に流布しているので、良い構成というのもなかなかぱっと思いつくものではなく自分の経験や見たもの聞いたことからしか出ないんだなあ というクリエイティブ系の人間の限界みたいなものも感じた。限界というか、洗練のされ方のひとつ? まあ世の中にはすごい作品が映像文章漫画とゴロゴロあるので、それに感銘を受けたり共鳴したりするのはものづくり系(特にトリック)の人だとあるあるなのかな という。

技法がちょっと小説っぽいな、というか伊坂幸太郎の小説を読んでいるときみたいな感覚だった。起きたことと、その舞台裏。映像作品の脚本と小説ってそんなに近いのかな。すごく既視感、というか「このやり口を私は知っとるぞ」という感じがあった。

漫画『マイ・ブロークン・マリコ』(平庫ワカ, 2020)は漫画だが画面と進行がめちゃくちゃ映画っぽい。そういう交錯を感じた。

 

私は映画を撮っているところを生で見たことがないので、裏で活躍してるスタッフの人たちスゲー、というのが特に印象的だったところ。ドラマも映画も好きだけど、役者も何人か「この人は特に」という好きな人たちがいるけど、画面に出現しないスタッフたちで映画って出来てるんだな……という(今更感あるけど)再認識があった。

それでいうと映画「悪の教典」(2012)は音楽も美術もセットもサイコーなのでそれを思い出した。小道具・大道具の人たちめっちゃ頑張ったんだろうな……でも撮影終わったらこれ全部壊すのかな……と鑑賞当時思った。じっさい小道具・大道具って映画の撮影が終わるたびに処分するのかな。でも置いておく場所ないよねたぶん。

誰か目と腰をいためないで長時間映像を視聴する方法を教えてください。