一握の真砂

ジャズりんご

2019年のカウンセリング用資料から抜粋

冬のカウンセリング用資料掘り起こし

ゴミ箱行きにしようかと思ったがそのとき考えていたことの一部を残しておこうと思ったのでここに載せておく。

 

12/5木曜に診察を受けた。
記憶の中の、いつまでも持続する激しい怒りをコントロールできず困っている話をした。それはフラッシュバックだというのだと言われた。フラッシュバックというのはPTSDとかトラウマという語と共起する現象だと思っていたので特に暴行被害や戦争体験があるわけではない個人の生活においても「フラッシュバック」という語を使うのだな、と思った。「それはASDの特性なのか、双極性障害の特性なのか、個人の特性なのか」ときいたらASDのそれだということだった。

同居人や友人に「ムカつく記憶はどうしているのか」と尋ねたら「時間がたてば忘れる」とか「それに構っている時間がもったいないので考えない」とか言われるけど、それができたらリボトリールこんなに飲んでないしそもそも精神科になんて通ってないな、と思った。

 

12/14
デッサンは楽しいことも嫌なことも忘れて無になりそれだけに集中できるのでいいが、うまく集中のモードに入れるときとそうでないときがある。
無のときは精神的に充実していると感じるけど、描いている絵自体はうまいわけでもなく技巧が上達したからといってなにがあるわけでもなく(たとえば美大受験のために描いているとかそういう目標や到達点がないので)、ときどきむなしいきもちも感じる。
神保町の画材屋でアートスクール(何回かに分けてデッサンとか油絵とか水彩をやるらしい教室のようなもの?) のパンフレットを見て興味を持ったが、知らない講師は相性が悪いと嫌気がさすリスクが高いし、どのコースも3か月と2万円ぐらいかかるので検討した結果やはり一人で好きに描いていようと思った (3か月で6回を修めるのは時間かけすぎだし、2万あったら数をこなす紙代やモチーフ代にしたほうがいい)。

やはり一日中多弁で行動が多かった。
その後角煮の下準備をしてゆで卵を作って鶏のスープを作って現在朝の4時前である。

自分のために何かをしてくれる友達がいないという気持ちがある。「誰も友達じゃない」という表現をよくする。これが認知の歪みか事実かはわからない。