一握の真砂

ジャズりんご

カレーじゃない

カレーじゃない、だろう。

神戸市の東須磨小学校における教員間でのいじめが話題である。以下に毎日新聞の記事を引用する。

https://mainichi.jp/articles/20191009/k00/00m/040/193000c

 

教員のうちの1人は「自分が面白ければよかった。悪ふざけでやっていた」と話したという。

 

なにか人に対してひどいことをしたとき、人を傷つけたとき、人をかなしませたとき、それに対して「悪気はなかった」と言うのは最も悪辣で、救いようがなくて、最低なことだ。悪人はまだ救いようがある。なぜか。悪人はそれが悪いことだとわかってそれをやっているからだ。悪人には善悪の区別がつき、また悪人は秩序の有無が理解できているからこそ、彼は悪人たりえるのだ。

馬鹿を救う方法を依然私たちは知らない。それは非常に残念で、かなしいことだ。今回は小学生を教育・指導する立場の人間が、これから未来を生きていく人間の範となるべき人間が、救いようのない馬鹿だったということだ。それはとても残念で、かなしいことだ。だが世界には残念でかなしいことがあふれていて、今回はそれがこのケースであった、という見方もできる。私は文章を書くことくらいしかできないから、この世界にあふれている残念でかなしいことには、無力だな、と思う。

 

伊坂幸太郎グラスホッパー』に鯨というキャラクターが出る。鯨は自殺させ屋さんである。彼の初登場シーンで、鯨は議員秘書だったか、を自殺させようとする。そのまさに議員秘書を自殺させん、とするシーンで、地の文にこんなようなことが書かれる。またしても生憎原本が手元にないのであいまいな記憶が頼りだが、「自殺すると、世間はもういいかという空気になる。自殺までしたのだから、これ以上責めるのはかわいそうだ、という風潮が生まれる」という内容だ。

たしかに、なにか問題になることが世間に露呈したとき、我々は何らかのかたちで「責任を取る」姿勢を見せることが要求される。それが実質的に意味のあるものでも、ないものでも、問題を取り上げるマスコミやメディアに対して「なにかしていますよ(だからもう勘弁してくれませんか?)」というパフォーマンスを発信する。

 東須磨小学校では「被害教員が激辛カレーを目に擦り付けられるなどのいじめを受けたことから」カレーが給食のメニューから外れることになったそうだ。

https://www.mbs.jp/news/kansainews/20191017/GE00030045.shtml

学校では問題の発覚後、児童4人が不登校になり、現在も内2人が休んでいるということです。市教委は、動画が撮影された家庭科室を改修するほか、給食の献立からカレーを外すなど、児童らの生活にも影響が出ています。  *1 

 

カレーは物語の中で自殺した議員秘書のように、騒ぎを鎮火させる礎となれるのだろうか。

 

ちなみに‪劜という漢字は「アツ」と読む。カレーではない。

*1:下線部は筆者による