一握の真砂

ジャズりんご

インターネット上でブログを書く意味

今日はそろそろ目がきびしいので、これだけ書いて就寝とする。

インターネット上に日記を書いて公開する意味ってなんなのか、と考えていた。結論は検索可能性だった。

私のメインの溜まり場(?)みたいなものはツイッターで、そこでインターネットの人間とやりとりが発生することはあるし、むしろツイッターの公開アカウントは交流用ととらえているところがあるが、このブログはコメント欄も開放していないし、私に他ブロガーと交流する気があるかというとそれは殆ど無い。

ツイッターはログの流れが早い。ふつうのツイッター内部の機能の検索で出てくるのは最近または古すぎるツイートが多く、かなりの数が落とされているのを肌で感じる。絶対にログが残っているはずの自分のツイートのワードで検索しても出てこなかったりとか。そういう意味で、ツイッターは記録管理にはあまり向いていないと思う。

その点ブログは、自分の書いていそうな語句をブログ内部で検索すればなにかしら出てくる筈なので、考えや思い付きの種を埋めておくのによい土地という感じがする。なにか考えたことや感じたことを書いておくと、また紙とも違って検索がかけられるのがいい。アナログの紙にCtrl+Fは使えない。「なんかこんな話してた気がする」というのを深めたいとき、書いておいた思い付きが発芽しそうなところがよい。

さいきんはnoteがかなりの隆盛を誇っている印象だが、noteではなくブログを選んだのは単に慣れ親しんだ媒体だったから、というそれだけだ。インターネット老人会

今はカテゴリ分けをするべきか悩んでいる。書く記事がどれもとっ散らかっているので、そもそも何で分類したらいいかわからない。過去記事を読み直してどうにかしたいな、とは思っている。