一握の真砂

ジャズりんご

映画「カメラを止めるな!」感想

話題作をようやく観た。

ところで1日に映画は4~5本が目の限界っぽい。映画や一単位が90分のドラマ、ひとつにつき1時間半~2時間半はぶっ通しであけておきたいので、間に用事を挟みたくないし、それだけ通しで目と腰が死なないようにケアの時間も入れないといけない、というのが最近の気づきである。

 

以下マジのネタバレ注意

 

カメラを止めるな!」(2017)は上映開始当時、私の周りでも話題にはなっていたものの近くに上映館がなかったので観に行かなかった作品だった。このタイトルについて検索すると「ネタバレを見ないですぐ観に行ったほうがいい」という意見がすごくたくさんあって、物語(フィクション、作り話)というものをある程度周回している人ならその文言自体がまあまあのネタバレになっていると思う。事実ストーリーラインはだいたい「まあこれは確かにネタバレ読んでたら楽しめないな」という構成だったが、低予算だと役者やセットに頼れないぶん構成パワーで薙ぎ倒す、みたいな気概を感じてよかった。良い意味での低予算映画らしさ、あたたかみというか。

ただちょっと検索したら監督に盗作疑惑が持ち上がったとかなんとか、「原案」にラレ元の名前をクレジットすることになったとかなんとか、そういう情報もネット上に流布しているので、良い構成というのもなかなかぱっと思いつくものではなく自分の経験や見たもの聞いたことからしか出ないんだなあ というクリエイティブ系の人間の限界みたいなものも感じた。限界というか、洗練のされ方のひとつ? まあ世の中にはすごい作品が映像文章漫画とゴロゴロあるので、それに感銘を受けたり共鳴したりするのはものづくり系(特にトリック)の人だとあるあるなのかな という。

技法がちょっと小説っぽいな、というか伊坂幸太郎の小説を読んでいるときみたいな感覚だった。起きたことと、その舞台裏。映像作品の脚本と小説ってそんなに近いのかな。すごく既視感、というか「このやり口を私は知っとるぞ」という感じがあった。

漫画『マイ・ブロークン・マリコ』(平庫ワカ, 2020)は漫画だが画面と進行がめちゃくちゃ映画っぽい。そういう交錯を感じた。

 

私は映画を撮っているところを生で見たことがないので、裏で活躍してるスタッフの人たちスゲー、というのが特に印象的だったところ。ドラマも映画も好きだけど、役者も何人か「この人は特に」という好きな人たちがいるけど、画面に出現しないスタッフたちで映画って出来てるんだな……という(今更感あるけど)再認識があった。

それでいうと映画「悪の教典」(2012)は音楽も美術もセットもサイコーなのでそれを思い出した。小道具・大道具の人たちめっちゃ頑張ったんだろうな……でも撮影終わったらこれ全部壊すのかな……と鑑賞当時思った。じっさい小道具・大道具って映画の撮影が終わるたびに処分するのかな。でも置いておく場所ないよねたぶん。

誰か目と腰をいためないで長時間映像を視聴する方法を教えてください。