一握の真砂

ジャズりんご

高校の話

私の通っていた学校はいわゆる自称進学校というやつで、沖縄では3Kとか4Kとか言われていた。図書館の蔵書が洗練されていて課題がとにかく多かった、それ以外の記憶は特にない

断片を拾って、自分が何を考えていたのか掘り返したいので書いてみる

3年生になると、よく数学準備室の目の前にある椅子と机のある空間でべんとうを食べた。同じクラスの友人1人と、2つ隣のクラスの友人2人の4人で

もとは4人とも1年生のとき同じクラスだったので、それで親しかった(そのうえ内の2人は私と同じ部活だった)。

冷やし中華をコンビニで見るといつも思い出すのだが、出先で冷やし中華とか食べるときって余った汁の処理に困りませんか

たしか数学準備室とつながっているベランダに通っている排水溝に流した記憶がある。

まあこのへんはわりとどうでもいい

 

その3人とはまた別に、私には忘れられない人がいて、その人は木蓮さんと呼ぶことにする。ハクモクレンの花の咲くようすに似ていたからです

木蓮さんは読書とフランス映画の美少年が好きで、物静かで、透明だった

皆と同じ制服を着ているはずなのに、木蓮さんはその制服を他のだれよりも見事に着こなしていて、なぜかそれらの制服は木蓮さんにだけぴったり合わせてつくられたようだった。おそらくあのひとはものすごく姿勢が良かった。それと、歩き方やすべての仕草が周りの生徒と比べてとにかく洗練されていたのだと思う。

色素が薄くて、地毛証明書を提出させられていたのを見たことがある。毛髪の色がもともと明るい生徒や、パーマをあてたように髪が巻いている生徒が呼び出されて用紙を渡され、「これは地毛です」という親のサインを証明書に貰って提出するクソみたいな制度なのだが、そのクソ性は置いておいてもまあ木蓮さんの髪は明るかった。色素がひとより薄いことを木蓮さん自身はコンプレックスとしていたようだった。しかし木蓮さんがそれを公言することはなかった。彼女はとても静かで、透明な人だった。

私は木蓮さんのその透明なところに自分の醜さが透けて反射するような気がして(高校時代、私は姿勢も悪ければ身なりにもまるで気を使っていなかった)、とても木蓮さんに対して気おくれして、けれどその透明さがどうしようもなく好きだった。木蓮さんは他のだれとも違っていた。

他のだれとも違う、というのが、つまり好きであるということなのかとそのとき思った。

木蓮さんは賢く、おしゃれで、清潔だった。そんな高校生は他にいなかった。木蓮さんは他のだれとも違っていた。

ひたすら透明な人だった。ハクモクレンの花を私は大学に入ってから見知ったのだが、あの花の咲く穏やかな風体は、木蓮さんの清廉な立ち姿を想起させた。

木蓮さんとは1年生のときに同じクラスになった。私の出席番号は20番で、木蓮さんは40番、入学式のとき列の折り返し地点と終点になる私たちは隣り合って座っていた。私はとにかく長い話と座っているのに飽きていて、それでなんとなく木蓮さんを横目で見ると、木蓮さんはじっと脚を閉じ、椅子の背もたれと並行に伸ばした背筋と両肩のなだらかな曲線を保っていた。

うつくしいと思った。

その後教室に入ると私たちは、教室の真ん中うしろと左奥の隅に別れ、次に木蓮さんと私が話すのは化学の実験の回になる。木蓮さんは同じ中学出身の2人といっしょにいて、私は(理由はもう忘れたが)彼らと同じ班で実験をすることになったのだった。

それで私はなんだかんだで夏休みの前に文芸部に入り、木蓮さんはたしか2年の半ばだったか、後に文芸部で活動を共にすることになる。

 

木蓮さんは静かで、透明な人だった。

今も透明な人だ。

木蓮さんは私のとても大事な人と言えるのだが、私が木蓮さんにとってどういう存在だったのかは私は知らない。好きだ、と何度かなにかの弾みで言ってもらったことは記憶にあるが、高校生の「好き」なんてきっと水面の泡沫より曖昧なそれだろう。でも、ただ、私は木蓮さんにそれを言われたとき、すごく気分が高揚して、うれしかったことを覚えている。

私は木蓮さんが透明な人だったことを覚えている。